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239件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2020-04-28 第201回国会 衆議院 予算委員会 第20号

ただ、もう一つだけ言いたいんですけれども、あのときのアメリカフーバー政権の評判はさんざんです。何もしなかった、こう言われているわけでありますけれども、よくよく調べていくと、決して無策ではないんですね。当時の実施主体である地方政府に対して、連邦政府は、地方政府に対して公共事業をやらせたり、救済事業をやらせたり、金利の引下げとかをさせているんですね。

玄葉光一郎

2018-03-22 第196回国会 参議院 財政金融委員会 第5号

フーバーという人が職階制という制度を作ろうとした。これを見事に阻止したのが、当時の革新官僚の生き残り、大蔵官僚であります。給与法という法律を作って、給与法の別表を作って、完璧な年功序列システム、責任と能力で昇進するという制度を完璧に抑えた。いやあ、実に見事なものですね。  戦後、戦争中に優位になった役所、陸軍省海軍省、内務省、こういうものは全部解体をされます。

渡辺喜美

2015-08-21 第189回国会 参議院 本会議 第36号

皆様は、米国に、FBI長官の座に四十八年の長きにわたって居続けたフーバーという人物がいたことを御記憶のことと思います。盗聴など捜査権限を濫用して多くの政治家など要人の秘密を握り、盾突く者を黙らせたと言われています。  我が国の法務・検察や警察は、諸外国との比較において信頼できる捜査機関と評価されています。我が国が諸外国と比較して良好な治安が保たれていることも評価しましょう。  

小川敏夫

2015-02-25 第189回国会 参議院 憲法審査会 第1号

連邦憲法裁判所では、ペーター・フーバー裁判官からお話を伺いました。  我が国のように司法裁判所事件を処理する上で違憲審査権を行使するのとは異なり、憲法裁判所は、具体的な訴訟事件を離れて抽象的に法令等違憲審査を行う権限を与えられています。その抽象的違憲審査運用状況憲法裁判所判事民主的正統性に対する意識が私たちの主な関心事でした。  

金子洋一

2014-06-11 第186回国会 衆議院 法務委員会 第23号

当時FBIのナンバーツーの国際局長お話を伺うことができて、最後メッセージを、フーバー回顧録の本に、私はいただいたわけでございますけれども、やはり、日米のこの捜査機関の協力というものは、秩序の安定のために不可欠だというようなメッセージだったことを記憶しております。  最後に、一九七六年六月の二十七日でございましたが、エールフランス機がテロリスト四名にハイジャックをされるという事件がありました。

西田譲

2013-10-30 第185回国会 衆議院 国家安全保障に関する特別委員会 第3号

外務省の職員や内閣調査室関係者などが、実はこのレフチェンコアメリカの議会で後にどんな諜報活動を行っていたかという説明をしたときに、有名なのは、我々政界では、フーバーというコードネーム、実名をレフチェンコが挙げた中に、石田博英労働大臣もいましたし、社会党の勝間田という元委員長はギャバーというコードネーム、それからグレースという名前伊藤茂とか、いろいろな、メディアも含めて九人の人を実は名前を言ったということがありました

中山泰秀

2013-05-17 第183回国会 衆議院 財務金融委員会 第8号

そこで、私どもとしては、経験がないとなれば、これは歴史に学ぶ以外に方法がありませんので、歴史を学んで、結果として、似たような状況は、一九三〇年代初頭に、いわゆるアメリカの大不況学校で習う、フーバーという大統領のときのアメリカウォールストリートの株の大暴落、あのときに始まったデフレーションによる大不況というものを脱却するのに、ニューディールという名前ルーズベルト政策が出てくるんですが、あれのもとをつくった

麻生太郎

2013-03-21 第183回国会 参議院 財政金融委員会 第2号

○国務大臣(麻生太郎君) これは様々な話がありますので、少なくとも、先ほども金子先生の御質問にもお答えしていたんですが、少なくとも一九二九年のウォールストリートの株の大暴落、当時、フーバーという人が大統領だったんですが、この時代に、早い話が、デフレーションによる不況というのはアメリカ発で世界に広まって、日本もその例外ではなかった。

麻生太郎

2013-03-21 第183回国会 参議院 財政金融委員会 第2号

アメリカも、よく八〇年代の例に引かれますけれども、やっぱりいろんな意味での、テネシーバレーオーソリティーとか、我々が学校で習ったTVAなんかで見るまでもなく、やっぱりフーバーダムにしても、サンフランシスコゴールデンゲートにしても何にしても、ああいったようなものというのがアメリカにもたらした影響というのは物すごい大きいものだと思いますので、日本として、今後、今我々としてやらねばならぬ、途中で公共工事

麻生太郎

2013-02-18 第183回国会 参議院 予算委員会 第2号

正直申し上げて、一九三〇年代のあのデフレから脱却するときにフランクリン・ルーズベルトという人がやったのは、まさに計画的な公共事業というのをやるんですが、よく例に引きますけれども、サンフランシスコゴールデンゲートにしても、全国張り巡らしたフリーウエーにしても、テネシーバレーオーソリティー、通称、我々学校で習うTVAですけれども、あれで習ったとおりにフーバーダムを造った。

麻生太郎

2012-07-31 第180回国会 参議院 社会保障と税の一体改革に関する特別委員会 第11号

デフレ下において消費増税をして税収が落ち込み、更に財政が悪化し、僅か一、二年で財政の赤字が約三倍程度に増えた、これは例えばアメリカフーバー政権でありますとか、そして日本歴史においてもあります。  こういうシンプルな質問にきちんとお答えいただかないといけないというふうに思いますし、何か増税推進派の議員が地元に帰って、デフレ下では絶対増税しないんだ、だから大丈夫なんだ、これ、うそですよ。

森ゆうこ

2012-07-26 第180回国会 参議院 社会保障と税の一体改革に関する特別委員会 第8号

四番目、フーバーの大失敗。  米国恐慌、一九二九年から三三年のときに、一九三二年にフーバー大統領連邦税に史上初めて、このときだけなんですけどね、消費税導入して、広く浅くと称して、石油税食品、あらゆる食品消費税導入いたしました。その結果、一九三二年には一段と恐慌が激しくなって、一九二九年に比べて株価は九〇%ダウンの一〇%、国民所得は半減、四七%ダウンしています。

菊池英博

2012-03-22 第180回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号

御覧のように、消費税導入を始めとした緊縮財政をしいたフーバー大統領期財政は明確に悪化し続けております。借金は増え続けております。増税をしたのに借金が増え続けていると。ちなみに、積極財政をしいてからそれが減っていくという構造でございます。このときの消費税導入後、GDPは何と約半分にまで失速しております。  

藤井聡

2012-03-22 第180回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号

げた、分離してとおっしゃったところ、実は分離できていないということを今申し上げましたので、実はここからもう神学論争になりますので、これ決着はまた学会か何かでやらなもうしゃあないところでありますけれども、これはもう理論的に考えて三年殺しのことを考えていないというところと、そのないということをおっしゃっている分析にはこの住宅のことが考慮されていないという二点については御提起を申し上げて、しかも、それでフーバー

藤井聡

2012-03-15 第180回国会 衆議院 憲法審査会 第2号

まさに、国公法百二条の改正というのは、マッカーサー書簡と、それに基づく政令二〇一号、フーバー勧告草案など、GHQが強い圧力をかけて、日本政府を押し切って、アメリカハッチ法をモデルにして包括的な政治活動の制限、禁止を強要して、アメリカにもない刑事罰まで盛り込んできたものであります。そもそも合憲性が問われる典型だと。  

笠井亮

2009-04-16 第171回国会 参議院 経済産業委員会 第8号

残念ながら大恐慌とは似て非なる、百年に一度と言われますが、非常に戦後最大の金融危機が起きている状況で、構造改革は例えて言えばルーズベルトの前にあったフーバー政権の市場原理主義的な政策によって不況を深刻化させてしまった。その一つ格差拡大、雇用や社会保障の破壊、あるいは地域の格差拡大によって内需が底割れをしてますます輸出依存になってしまうという悪循環構造をつくってしまった。

金子勝

2009-04-02 第171回国会 参議院 厚生労働委員会 第7号

フーバーからルーズベルトもそうですよね。やっぱり政権基盤が続くということが担保されなかったら、それは十兆円入れようが二十兆入れようが、そこにする投資効果というものは極めて不確かになる、期待値が下がってしまうんですね、続く保証がないわけだから。そういう意味では、まあ個人的には早く政権を問う、国民の信を問う戦いをやって、勝ち残った方が財政出動医療も含めてやるべきだなというふうには思いますが。  

森田高

2009-03-18 第171回国会 参議院 予算委員会 第15号

フーバーからルーズベルト政権交代したら、アメリカGDP六%、これは公共投資で出しました。高橋是清さんはフーバーがもたもたしているころにいち早く経済対策をやって、やっぱりこれは経済の金メダルですよ、高橋是清さんは。一九三二年にはプラス二二%の財政出動。この当時はGNPはちゃんと測れませんでしたから分かりませんけど、だけどこれは国際社会にいち早く経済対策をやって早く恐慌から脱出した。

森田高

2008-11-12 第170回国会 衆議院 国土交通委員会 第2号

フーバーの次のルーズベルトニューディールのときに、もちろん公共事業をやったんですけれども、医療問題を分野として欠落させてしまったので、その後百年間、ずっとアメリカ医療制度改革に苦しむわけです。そして日本は、浜口雄幸の後、犬養毅がやはり農業土木をやって、その後、戦後復興に役に立ったわけです。この景気対策は当面の二年や三年の問題ではないんです。

福井照